坂口 登の絵画 村上 哲

1:ダブル・フォーマリズム


坂口登の絵画の前に立つとき、人の眼には二つの画面が同時に映し出される。抽象と具象、静謐と喧騒、明と暗。迫り来る空間と遠ざかる空間、精神的ななにかと物質的ななにか、そしておそらくは、虚と実、あるいは生と死。対照的なこれらの画面が、見る者の意識や感情を分断しつつ、同じ視野のなかですべてが同居させられる。そして、対立する概念が呼び起こすその両義的な視覚は収瞼されず、拡散が余儀なくされていく。


絵画を構成する造形要素のみを問題にし、その組み立てを純粋に視覚化する徹底した手法は、いかにも現代のアメリカ的だが、一方で多翼的で装飾性豊かな画面形式は、日本古来の屏風絵や襖絵のような感覚、大和絵や琳派のスタイルにも相通ずる。日本とアメリカというふたつの国に生きる、あるいは生かされているこの画家のみが創出し得た、「ダブル・フォーマリズムの絵画」ともいえようか。そして、不可思議なこの知覚をもたらすこの現象野の構造を、つぶさに観察し分析してみるとき、絵画や文化をめぐるさまざまな問題が湧き出してくる。


現在ニューヨークに住む坂口登が、家族とともにアメリカに渡ったのは12歳のとき。山と緑の懐に抱かれた熊本の中央町に生まれ育ち、人格が形成される多感な時期にアメリカ西海岸移住している。「日本とアメリカというふたつの国、ふたつの文化との出会いは、自分にとって大きな運命であった」と坂口はいう。作家本人もしばしば語るように、たしかに、この生い立ちが抽象と具象とを組み合わせて対峙させる手法を生まれさせた原体験となっているのだろう。ただ、作品そのものが発する言語は、それとはまったく別の次元で語られるべきものであり、作家の生と作品の生とをことさら結びつけて説明するのが危険であることはいうまでもない。

二つの画面を繋げるディープティーク(二連画)が、坂口を典型する画面形式である。そこでは、すべてのものが併存の状態で投げ出されたまま、絵画存在が停止されて宙づりにされている。一方が一方を凌駕しようとするでもなく、かといって融合も統合もされず、お互いがお互いの価値や意味を無化しようとする、多義的な空間。ディープティークによるこの画面形式は1970年代の初頭から繰り返されているものだが、当初は両方ともミニマルな純粋抽象だった。すなわち、全体性=トータリティーへの視座が絵画の価値を定める指標だったのであり、全体の構造に作用するように造形を操作していた。それが1980年代の後半になり、自然物によるイメージの採用を通じて、抽象と具象を併存させる独自の形式へと進んだ。そののち、抽象を真ん中に置き、具象を左右に配する、横長のトリプティーク(三連画形式)へと展開し、近年は再びディプティークの形式に回帰して制作している。

従来の絵画の因襲では抽象と具象とは同じ空間上には存立し得なかったものであり、その意味で、坂口の立つ領野は、造形を突き詰め収瞼させていくというモダニズムからはるか先の地点だった。従って、坂口がそのオリジナリティーを獲得した経緯が、従来の造形観におけるアイデンティティーを手放すことによってはじめて成し遂げられたことは特筆に価する。絵画を取り巻く諸要素を解体し、そして再構築するこのポスト・モダニズムへの視座は、のちに述べる日本本来のフォーマリズム的な美意識とも深く関わるものだろう。


抽象の空間は、日本の蒔絵の梨地仕上げにも似た端正な面もちを持ち、整然として美しい。静けさに満ちた瞑想的な空間は、見る者に東洋的な精神世界を感じさせもする。坂口が本格的に活動し始めた1970年代初めのカルフォル二アでは、仏教や東洋哲学への関心が広がったことが思い出される。一方、具象の画面には、艶やかな花や極彩色の鳥たちがところ狭しと描き込まれて、賑やかなイメージがひしめきあい、ときとしてエスニックな薫りがみなぎる。

抽象の画面のなかに具象的なイメージが登場するようになったのは、1980年代中頃のこと。1970−80年代、表現というものを徹底して排除したミニマル・アートや概念芸術の時代を経たのち、アートシーンに再び、ニュー・ペインティングとも新表現主義(ネオ・エクスプレッショニズム)とも呼ばれる具象表現が台頭した頃と時期を同じくする。はじめおずおずと画面に入り込んできたイメージの断片は、次第に増殖しながら矩形の画面全体を覆い尽し、その表現スタイルも時を経るごとに洗練度を増してきた。今、画面は、琳派の大胆さと狩野派の緻密さ、そして多焦点のオール・オーヴァーな構成とがないまぜとなった、現代の花鳥画ともいうべき様態を示す。
(むらかみさとし・比較芸術学/美術館キュレーター)
(2001年 SUSUMU SAKAGUCHI PAINTING より)
 
 
 
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