坂口登自伝 坂口登

黒人問題 日本人であることを意識



1950−60年にかけてアメリカ東南部で、数々の黒人問題が起こっていた。黒人たちは仕事が与えられず、白人からひどい差別を受け、理由なく殺される事件も起きていた。社会問題としてニュースに取り上げられ、ロサンゼルスに1日、1000人もの黒人たちが移動した時があった。

ロサンゼルスに移ってきたものの、そう簡単に職につけず、仕事があったとしても、条件の悪い肉体労働がほとんどであった。心のよりどころがなく、薬物中毒やアルコール中毒になる者も増え、黒人街は見る間にスラム化していった。私の通うジョン・アダムスジュニアハイスクールは黒人街の西南区にあった。学生の90%が黒人であった。こうした環境の中で育った子供たちは社会のルールや人間性を重んぜず、暴力ですべてをかたづける傾向にあった。


ある日、昼休みに友人と2人でアイシコ(氷菓子)を食べていたら、黒人の学生が近づいてきた。食べているのをくれといってきた。何度もしつこく言ってくるので、腹を立てた友人は相手の胸に氷をぶつけた。その瞬間、彼のパンチがすごいスピードで友人の顔をとらえた。一瞬の事であった。見る見る間に友人の顔が青くはれ、”ブラックアイ”となった。

黒人の手の長さとスピードと力。「根本的に体が違う」と私は思った。自分の身は自分で守るー。これは中学生活において大事なことであった。私も体を鍛えねばと中学に入ってすぐに柔道を習った。この中学校は当時全米でももっとも不良学生の多い学校といわれていた。私が入学する数年前、中学生同士がピストルで打ち合い全米の大きなニュースで取り上げられたこともあった。社会や生活苦に対する怒りの反応か、彼らは相手をののしる言葉をよく吐いた。そして口論となり、必ずけんかが始まる。学校の中でケンカは日常茶飯事であった。

教室の中でチャリーンとコインの音がする。一斉にそのコインめがけ足を出す。コインを足で踏むのだ。いくつもの足が重なり合う。そして誰もが「俺のだ」と言い張る。力の強いものがそのコインを取ることになる。たった1枚のコインで殴りあう。こうしたことが学校でいつも起きていた。

そのころ、黒人解放運動指導者のマルコムX(1925−65)のスピーチが、毎日深夜ラジオから流れていた。「ブラック イズ ビューティフル」と自分たち、黒人のルーツを語った。黒人たちに「自信と誇りを持て」と説き、白人に対して差別への怒りを鋭く述べた。マルコムXは私たち中学校のある地域にもやってきてスピーチを重ねた。そして私の同級生の黒人学生に大きな影響を与えていった。65年8月に起きたワッツ地区の黒人暴動はこの地域での事件だった。


環境は人間性をつくりあげ
る。今思えば、黒人たちの中で彼らとともに行動してもおかしくはなかった。しかし周囲に巻き込まれてはならないと常に感じていた。私にはは「絵を描く」という夢中になるものがあったから、自分を見失わずにいられたのだと思う。中学に通いながら美術大学で学び、美術という角度から社会を見ることができた。黒人たちの中で見た暴力では決して世界を帰ることはできないと思った。逆に次の大きな問題をつくっていくと。

アーティストを志すには、自己の人間性を高め、己を深く理解していくことから始まると教わった。さまざまな人種で成り立つアメリカで、私は東洋人であり、日本人であることを意識した。そして、この社会で私が白人と対等の立場で養っていくには、知識と教養を身につけなければならないと考えた。 高校に進学するころからアメリカで最高の学歴を修めねばと、真剣に勤勉に励むようになった。

 
(2001年8月14日 熊本日日新聞 掲載文より)
 
 
 
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