坂口登自伝 坂口登

ベトナム戦争 モノトーンが「体験」の色


1960年、私はロサンゼルス市の中心にある3000人物学生が通うベルモント・ハイスクールに進学した。

その年から始まったベトナム戦争は、徐々に激しくなり。高校生の私たちにも大きな影響を及ぼし始めた。18歳まで義務教育とされていたが、16歳から兵隊に入れる認可を国が出した。2年間ベトナム戦争に参加すると、USアーミーアカデミー学科卒と同じと認めるシステムであった。この学科を卒業すると警察官や消防士として勤めることができる。

私の通う高校の中でも、兵隊になる学生の数が目立つようになっていった。日本人留学生に対してもベトナム戦争に参加すると、永住権を与えるという条件が出された。アメリカに3ヶ月以上滞在する観光客にも同じ条件が出され、永住権欲しさに戦争に行く日本人も出てきた。アメリカはベトナム戦争をめぐって賛成派と反対派と2つに分かれた。


高校を卒業すると、大学に進学しない男子全員が、強制的に徴兵された。私の同級生もほとんどがベトナム戦争へ徴兵されていった。私の同級生もほとんどがベトナム戦争へ徴兵されていった。国の「ルール」によって戦争へ行き、何人もの友人が死んでいった。空しかった。実に空しかった。言葉で語れぬほどの苦さを私は感じた。

私の中で戦争に対しての意識が固まった、。私の中には「私のルール」がある。「人を殺さない」。これは人間の基本であると考えた。徴兵されない!」。これは私なりの戦争に対する抵抗のかたちであった。徴兵されないため私は大学へ行き続けた。

国立ロサンゼルス工業大学に入学して2年後、夜間美術大学に入った。 そして68年、シエナード美術大学に入学。ベトナム戦争はますます悪化し、大学生に対しても成績がトップランクでないものは徴兵されるシステムとなった、私は徴兵されない成績を常にキープし続けた。

71 年、カリフォルニア芸術大学院に入学。全米から15人に選ばれた1期生の中に、唯一の東洋人として入った。73年、私が大学院を卒院した年にベトナム戦争にピリオドが打たれ、その年に徴兵制度は廃止された。


アートは自分そのものの意識とセンスベリティ(感性の根源)である、と私は考える。毎日流れてくるベトナム戦争の生々しいTVニュースや何人もの友人の死。10年間の時間の中で、私の現実として深く意識に刻み込まれていった。

私の抽象的表現絵画は、内面に募ってくる意識と気持ちの重なりを、自分の形に置き換えようとすることによって生まれてくる68−73年、私は全面的に創作活動に没頭していった。

巨大なる紙(4メートル×5メートル)の上に立ち、作品の中にすべて入り込み、無意識の状態にまで自分を追い込んでいく。全意識を上下左右に集中し描いていく。与えられた空間そのものが私の「宇宙」であり、世界となる。


新しく作られた光の色、フローレッサンカラーを体全体を使って何層にも重ねていく。それを繰り返すことによって生まれてくる色とかたち。深い真相意識からわき起こる考えや気持ちを、音楽を奏でるかのように描きつづけていく。さまざまな色や形の中から浮かび上がる「モノトーン」−。これが私のベトナム戦争を通して「体験」の色でありかたちであった。平和であること、自由であること。悲しみでもあり、疑問でもあった。
 
(2001年9月18日 熊本日日新聞 掲載文より)
 
 
 
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