坂口登自伝 坂口登

点の技法 無意識へ近づく試み



現代美術は、その時代の社会を理解しようとする個人の表現であり、人間心理の追求であると私は思う。それは深さであり、新たなる角度の広がりである。アンディ・ウォーホルやジャスパージョーンズに代表される60年代アメリカのアートシーンは、ゴールデンエージ(黄金時代)のアメリカ社会そのものであった。 またそれは、ユダヤ系アメリカ人である彼ら自身を出し切る事から生まれたアートでもあった。

1971年、私はカリフォルニア芸術大学院修士課程に入学した。そこで重視されたのもオリジナリティー。大学院は「独自のかたち」の創造の場だった。私は、ナム=ジュン・パイク(ビデオ・アート)やアラン・カプロー(ハプニング理論)、マックス・ゴズロフ(美術史、芸術批評)、ラヴィ・シャンカール(音楽理論)らの教べんの下で学び、クラスメートに触発された。当時の仲間には、ロス・ブレックナー、エレック・フィッシェル、でヴィッド・サーレら、現在活動中のアーティストがいた。


12歳から渡米した日系人の私がオリジナリティーに向かう時、「私自身」を全面的に出し切らねばならない。私の「独自のかたち」とは何かを問い、作品の創造へと没頭していった。

巨大な紙(4メートル×5メートル)の上に立ち、全意識を集中し、体全体を使って線を描く。。無意識の状態まで自分を追い込み、私の潜在意識深くに何があるのかを確かめようとしていった。「メビウスの帯」のように連続した運動をくり返すことによって描く線の重なり。



ある日、それ以上に体を動かそうとした時、線が途切れ絵の具が飛び散った。ジェスチャーが大きくなればなるほど飛沫(ひまつ)が散り、大小さまざまな点が浮かび上がった。自分のエネルギーを通して生まれてくる「かたち」。私の体を超え手を離れ点となる。

私は意識的観念から無意識の次元へより近づこうとしていった。意識のかたちから内面のかたちへと映る瞬間を点でとらえようという試み。初めのころはぼたぼたと絵の具が落ち、大小さまざまな点の重なりであった。私は感性のかたちの点に近づけたかった。

1日10時間以上もの筆を振り続け、点を振る(スプラッシュ)感覚を体で覚えていった。キャンバスを床に置き、点が落ちる距離を感じて立つ。自分の精神を無の境地まで持っていき、瞬間を感じながら筆を振る。「振る」という強い反応を何回もくり返し、全身に絵の具を浴びながら、キャンバスの周りを右回り、左回りと連続した”メビウス運動”を反復する。

私のエネルギーを通し放物線を描きながら空中を泳ぎ、一瞬に均一に落ちて生まれる点、点、点。私の満足にいたる「点」になるまで3年という時がかかった。私の点の技法はこうして生まれた。


大学院の仲間が私のアトリエにきて「ススム、これはラストペインティングだよ。人間のできる絵画表現の極みだ。」と言ってくれた。四角のキャンバスに対して、四角の形と光の色の三原色を使いイメージをつくる。そのイメージにグレーの無数の点を何層にもかけてゆく。瞬間、瞬間の点を重ねていくことによって、新たな次元のイメージが浮かび上がる。モノトーンの作品群。これが70年代という時代を受け止めた私の「独自のかたち」であった。

ニューヨークで美術作家として活動を続けて30年あまりになるが、今も私の作品の根底には、「瞬間の点」の重なりがある。点というもの自体が、東洋的なイメージなのか、西洋的なイメージなのか私にはまだわからない。しかし、点そのものが私の存在のような気がする。

 
(2001年10月16日 熊本日日新聞 掲載文より)
 
 
 
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