坂口登自伝 坂口登

イサム・ノグチ 美学に強い影響を受ける



1977 年、私の個展のオープニング・レセプションに彫刻家であるイサム・ノグチさんが足を運んでくれた。そのころ、彼は世界的に評価を受け、ニューヨークで最注目を浴びていた。彼は私の作品の前に無言で発ち、1点1点をまるで作品を感じとるかのようにじっと見つめ、長い時間かけ会場をまわってくれた。そして帰り際に「感動しましたよ」とひとこといって、ギャラリーを出ていった。それから3日後、本人から電話がかかってきた。アシスタントをしないか、という話であった。

ノグチさんは日本人の父を持ち、アイリッシュ系のアメリカ人の母との間に生まれ、幼少のころ日本へ行き日本で育ち、少年期に再びアメリカに戻ったという。ノグチさん自身、東洋と西洋のはざまの中で、芸術、美のかたちを求めていた。


アシスタントの誘いは、私が彼と似た体験と共通点を持っていたからかもしれない。また今となって思うのだが、私の中の東洋人の繊細さを見抜いてくれたのではとも思う。私は88年12月にノグチさんが亡くなられるまでの10年間、ニューヨークでのアシスタントを務めた。


私がまだアシスタントになって間もないある日。皆がノグチさんを先生と呼ぶので「ノグチ先生」というと、「ススムさん、私はあなたの先生ではありません。私は作家です。イサムと呼んでください」。そのとき、私は芸術家としての彼の姿勢を知ることができた。そしてこの私を画家として認め、1対1の作家として接してくれた。ノグチさんはそのとき74歳私は32歳であった。

ノグチさんは幾度か語ってくれた。「何百年もの間に築かれてきた東洋の古い美のかたちを、もう一度この私の体とマインドを通し、今という時代に再び新たなかたちとして生かすこと、それが私の仕事だ」と。

東洋と西洋の違いを見続ける私にとって、何らかの共通点を持ちながらも、まったく別の角度の芸術のかたちと美学を知ることは、自分を広げることにつながった。ノグチさんは、私の人生の中で強く影響を受けた芸術家のひとりであった。


82年、ノグチさんから次のようなメッセージをもらった。「坂口登はこれまで習得した因習的造詣上の諸法則をひとつひとつ排除しながら、インプロヴィゼーション(即興)の中で理性の計り知れぬ”領域”を模索している。そしてこの冒険に満ちた道程を歩むことで、彼は自己自身の本性を発見し、再創造しつ続けている」


そのころ、私は1人の人間として、生涯を通しやり遂げる仕事というものを見据え始めていった。作家が芸術に向かうとき、自己探求へと向かい続ける。私は無の意識まで自分を追い込み、独自の世界へと入っていった。だがやがて、自分だけの宇宙間と自己探求でしかないのでは、と疑問を感じ始めた。

芸術の持つメッセージは、「今」という社会や人種の問題であると私は考えた。自己満足のための絵画であってはならない。絵画を通しメッセージを伝えるには、見る側とのコミュニケーションをと
らねばならない。私はその手掛かりを探し始めた。誰もが理解することのできる、イメージの色とかたちは何であるのかと。色とかたちの根源とは?人間の存在、生命の始まりは何であるのか?

光、地球、水、生命―。ここに色とかたちの源があると、私は捕らえた。私の中で、深海に届く光と、海底の古代の生き物が浮かび上がった。7つある光の色の1つを吸収し、赤いサンゴや黄色のヒトデなど独自の色とかたちを作り出すー。

こうして2分割された観念的抽象表現の一方のキャンバスに、私は生命の始まりそのもののイメージを描き始めた。

 
(2001年12月25日 熊本日日新聞 掲載文より)
 
 
 
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